昨日、自宅にでっかいゴルフのパターが届きました。
中身は・・・
TB下関店のITO様。誠にありがとうございます。大切に使わせていただきます。
こうやって皆様のご協力によって着々と、
『僕の言い訳という名の逃げ道』
がなくなっていきます。
話が大きく変わりますが、ちょっと暇な時間に携帯電話から今日のニュースを見ていたら、
『ビンラディン』という名を久々に見た。
あぁ、久々に聞いた名前だなぁと思いながら、僕の頭の中では同時に『サダムフセイン』の名が頭をよぎった。
フセインはすでにこの世に存在しないが、最初の裁判(正確には予備審問か何かだったと思う)の時、
判事に、名前や職業の質問を受けた際の『サダムフセイン現イラク大統領』と、
判事の注意に関わらず何度も答えている映像が当時のニュースで何度か流れ、
まだ大学生だった僕は、ブラウン管越しにも伝わってくるあまりのオーラ(??)の震えた記憶がある。
常人なら逮捕されてから、自分が死刑になることが明確な状況だったら間違いなく精神崩壊するだろう。
これこそが世界の情勢がほんの少し違えば、事実上の世界の支配者になっていただろう人間の覚悟。
話が変わるが、2005年に郵政民営化法案えの賛否による小泉純一郎の衆議院解散。
僕はあの時、自民党に入れた人間だ。(ちなみに浜松は全国的にも注目を浴びた地区だった)
あの時、小泉元首相は『たとえこれでダメだったとしても、戦国時代のように殺されることはない。
そう考えれば、衆議院を解散することの覚悟などちっぽけなものだ』
と後に語っていた。
政治屋(あえて家でなく屋と表現したい)は普通の人間では理解不能なぐらいの覚悟とリスクの中で生きているんだと思う。
そりゃ会見前にワインぐらい飲みたくなりますって(笑)
僕達は小さい頃からある刷り込みをされて生きてきた。
この世の中には最初から決められた『ヒーロー(良い者)』と『ヒール(悪者)』が居た。
戦隊者や、仮面ライダーやウルトラマンで、途中には色々あっても、
最後に勝つのは絶対に最初から決められた『ヒーロー』だった。
ドラゴンボールでも孫悟空はベジータにもフリーザにも負けなかった。
でも現実社会では、立場や状況によってその区別は非常に難しく、両方正解な場合もある。
『ヒーロー』か『ヒール』かは紙一重でそして表裏なものではなく、隣り合っているだけなものな気がする。
そして、『ヒーロー』になるにも『ヒール』になるにも常人では考えられないだけのリスクと覚悟が必要だ。
サダムフセインが本当に悪者だったのか、ウィキペディアか何かで調べて個々に思ってもらえたらと思う。(正解はないから)
僕は天邪鬼なせいか、とある国初の黒人大統領のヒーローによるヒーローらしい演説よりも、
死に際が近くても、自分の覚悟と意思は曲げないヒールによるヒールらしい言動、行動に刺激を感じてしまう。
(残念ながら、こちらはあまり注目を浴びないが・・・)
こんな大きな規模の物は近くには存在しないけど、小規模な物は職場や業界、皆さんの近くにゴロゴロしている気がする。
そんなことを考えていたら15分くらい経ってました。おしまい。