先日、夜中の0時を回ってからキャッツカフェにて6キロの砂糖の塊を食べました。クソでかい!そして高い!
皆様、こんばんはです。
前回のブログに『ナカムラダイスケ』氏のことを書いたんですが、ご本人様がメールをくれました。
実は僕、直接会ったことないんです・・・(汗)
周りの知り合いの方々には『しっかりした大人の社会人』と伺っていたんですが、
メールの内容は『熱くてしっかりと自分を持ったお兄さん』って感じでした。
・・・らしくなくオブラートに包んでしまいましたね。
メールを読んだ率直な感想は、『完全に自分に自信があるなぁこの方は』でした。
『自分の釣り』じゃなくて、『人間としての自分』って意味です。
本当はメールの内容全部を載せたいくらいなんだけど、それはできないので抜粋します。
『トーナメントは釣りが上手さを競うだけでなく、人間力の戦い。
僕は釣りが上手くなくてもいいけど強くありたい。
だから今までの自分よりも更に強くなれるように意識し続けていたい。
それはトーナメントだけじゃなくて、全てにおいても』
こんな感じの内容でした。
京都チャプターが終わった後に電話でHAYASHIさんに言ったりもしたんですが、
僕は正直、ダイスケさんと戦いたくありません。勝てる気しないもん(笑)
技術がどうこうももちろんあるけど、それ以上に、絶対人間として強い。
これはトーナメントを競う上で、釣りが上手いよりもやりずらい相手。
『釣りがあったから出会えた人や人脈』なんて言葉をちょいちょい目にすることがありますが、
もちろんそれってとても大切なものだし、深いものだと思います。
でもちょっと意地悪な言い方をすると、釣りよりも色々な人と出会えるものって沢山ある。
人との出会いや、人脈を広げたいだけなら釣りってそれほど適したものではないと個人的には思うんです。
(釣りは極論、『対魚』だからね。)
ただ釣りというものを、人生や社会の縮図(大げさだけど)のフィルターとして見たら、
非常に役立つ部分が多いというか、成長できる部分が多いというか。
もちろんそんな風にミクロな目だけで釣りを見るんじゃなく、
マクロな目で釣りってモノを見ることが出来ることも非常に大切なんですが。
完全に途中から書きたいことが変わってきて、脱線しまくりですが、
この文章は『鉄を熱いうちに打ちたかった』ってことで許してください。