本日で延べ、1週間のプリプラクティスを終えました。
最後は船体&デッキを綺麗に水洗いして拭き上げ。
さて、そんなプリプラ最終日はこの水系で昔からお世話になっているハーツマリン高橋さんにお付き合い頂きました。
高橋さんは今ではハーツマリンさんの魚探部門として日本でも1.2くらい魚探関係の有名人なんじゃないかなと思います。
今日も近々取材があるとか話してました。
プリプラは特段書くこと(書けること)が無いので、ちょっとだけ昔話を書きます(笑)
私がTOP50シリーズに昇格したのが2009年なんですが、その頃はまだバスボートも持っていなくて、今でもリザーバー戦なんかでは愛艇として乗っているステーサー400で霞ヶ浦戦や北浦戦も戦っていました。
それに限界を感じた2012年の最終戦で私は高橋さん(当時は別の仕事をしていた)からバスボートをお借りします。
というのも、高橋さんは深江真一プロとも交流があって当時、深江プロのバサーオールスタークラシック出場の際に毎年ボートをお貸ししていたんですが、その1回の為に毎年その時だけラッピング(当時は私も深江プロもメガバスだった)を行っていたので『もったいないから黒田がTOP50最終戦で乗れよ』とお声掛け頂いたと記憶しています。
人のバスボートを借りるのって色々な意味で悩むんですが、この時はお借りすることにしました。
当時の高橋さんのバスボート、レンジャー519をお借りしました。
ただよくよく考えると問題もあって。
一番の問題は当時の出たばかりのヤマハSHO(船外機)はちょくちょくトラブルが発生していて(その後〜今のモデルは全くありません)、万一何か起こした場合、私は全く支払い能力がない(汗)
当時26歳とかでランクル100を維持するのがやっとの頃。
もし壊したら数百万円とかなので凄く心配でした。
そんな状態で試合前にボートをお借りしに行くと高橋さんから『好きなだけ(アクセル)踏んで良いから。もし壊れても良いから。しっかり戦ってきなね』と言われたんですね。今でも凄く覚えています。
たいした成績を残した選手ではないし、貸すメリットも特段なかったはず。当然20代半ばの若造には返せるものも何一つなかった。
車もボートも全部自分で買ってきた人生だったのでバスボートで戦えたこの試合は強く記憶に残っています。
最終成績は12位とかだったと記憶しています。
今は何一つ不自由のない環境です。
特にこの水系ではSDGマリンの協力なサポートと環境のお陰で毎日好きなだけ練習出来ました。
高橋さんも今では『1日話し相手になってやるわ(笑)』しか言いません(笑)
今も今までも様々な方々の助けのお陰で戦えます。
これは私に限らず、TOP50シリーズに参加する50人全員が同じはず。
口に出さなくても、文字にしなくても、多かれ少なかれほとんど皆んな似たようなことを経て戦っているはず。
最終戦はもちろんその試合の優勝だけでなく、年間優勝も、残留争いも決着がつきます。
皆んな頑張ったから、皆んな優勝。とはならないのがスポーツです。
2週間後。そんな各々の背景をイメージしながら是非、全選手の動向をチェックしてみて下さい。
また順位だけではない、勝った負けただけではない違った面白さにも気付いて頂けると思います。
さて。明日も取材だからとっとと寝よ。