近年はSNSでの更新が多くはありますが、今記事に限らずブログも日々更新中です。
宜しければ合わせてご覧ください。
沢山のメーカーさまに活動をサポート頂きながら、活動を共にしながら私のプロ活動は成り立っています。
送って頂くものは自身が開発に携わったものを中心に、もちろん試合や取材ロケで使うものが中心です。
仕事に必要だからサポートをして貰っています。
もちろんその御返しも出来ていると思っています。
と、同時に『これが当たり前』とも思っていません。
この釣り日記は小学6年生から高校3年生(1997〜2003年)頃まで書いていたものです。全7冊でした。
当時はもちろんブログもSNSも無かったので、こうやって書き留めていたんだと思います。
22歳以降、18年間の私はこのブログでご覧いただけるんですが(汗)、それ以前の小さい頃の私はこのノートに一部収まっているのでちょっとだけ振り返ってみます。
まだ小さい頃なので字も汚く、内容も幼いですがよろしければお付き合い下さい(笑)
小学6年生以降は自分でノートに残していましたが、それ以前は家族のアルバムに釣果画像が残っていました。
たぶん小6でインスタントカメラの使い方を習得した為と思われます。
なのでこの頃は帰ってきて台所で親に撮影して貰っていると思われます。
このキビレは初めて自分で釣ったキビレ。見た感じ25cmある無しくらいかなぁ。
当時の小学生にとってキビレとクロダイは幻の魚で、釣ったら魚拓残したかったけどやり方分からず、結局断念した記憶があります。半目なのは今も変わらず(笑)
どちらも小学4年生の頃かなと思います。9歳か10歳。30年前。
今だと小学生だけで釣りとか危なくてダメなのかな?
当時は親父とも良く行ったし、友達とも良く一緒に釣りに行きました。
釣った場所や日時、大きさはもちろん、タックルやルアーカラーまで全て細かく書かれています(笑)
1998年なので中学1年生ですね。
この頃、ブラックバスは年間50匹くらいしか釣れない難しい魚だったので、ほとんどの魚が写真に残っていて全ての魚が1匹/1ページです(笑)
リールはベイトリールを覚えたスコーピオン1501です。
同じ1998年の1匹。
リールのところに『アンタレス(初めて釣った)』と書いてあります。
私の記憶が確かなら確かアンタレスは8月最終週に発売されて、発売日に買いに行ってその週末は魚が釣れず、翌週末に釣ったんだと思います。
それまでずっと左巻きだったんですが、アンタレスが右巻きだったので(当時は左巻きが出るのは一年後)、この一年ちょっと私はアンタレスが使いたいだけで右巻きに矯正しました(笑)
中学生の頃はアンタレスは何度もバラして(あの面倒な初代アンタレスを笑)、一回試しにモルブデングリスを入れでガリガリになった事もありました(笑)
一番リールを分解してたのがこの頃で、95ステラの穴あきスプールに憧れて、95ツインパワーのスプールに穴を開けたのもこの頃(笑)
翌1999年、中学3年生。これが初めてのランカー(50UP)でした。
過去にTOP50でガンタージグライトをメインにした時にUPした動画でも書いたんですが、私が初めて釣った50UPはガンタージグでした。
3/8oz(10g)って最初は書いたけど、家で重さ測ったら9gで『俺が使ってたのは5/16oz(9g)か!』となり書き直してある(笑)細かいなぁ。
下にも書いてあるけど、この日この魚以外をメチャクチャバラして『なんでなんだ?』とブラシガードの本数とか、ロッドの硬さを頭から煙が出るくらい考え悩んだのを覚えてます。その前の年(中2)からガード付きジグを凄く使うようになったんだけど、ここまでこんなバラすことなかったのに。
よくよく考えると、タイミング的(5/6)&釣れた魚の体型を見るに、産卵直後かスポーニングベッドを守っている魚を釣ったんだと思う。
でもそんなの当時は分からない。から、頭から煙が出た(笑)
同じく1999年、中学3年生の秋。
初めてPEラインで魚を釣った。26年前(笑)
当時は『PEライン』なんて言葉より『新素材ライン』って名前の方が一般的だった。
『PE20lb』とあるけど、今なら1号でそれくらいあるけど、確かこれは2号か2.5号だったと思う。サンラインの船用かなんかだったはず。まだルアー用のPE自体が無かった頃。
親父がタコ用に買った200mの端糸を貰って使ってた。
リールがこれだけアンタレスじゃない。最初はアンタレスに巻いたんだけどPEとの組み合わせはピーキーで使いこなせなくて、親父からTD-Xを借りて組み合わせて使ってた。
今だったら『PEラインはマグネットブレーキの方が相性良い』って数分で検索できるけど、当時は全部手探り。
全部自分自身が試行錯誤して辿り着いてる。
中3の冬休みから高1にかけてでロッドは全部デストロイヤーになった。
この翌年、今は浜名湖でレジットデザイン&バリバスのスタッフとして活動している同級生の柳館くんと一緒にフィッシングインターハイに出て高校2年生で日本一になりました。
その頃のノートはもう写真なんて50UPしか撮影していなくて書き残してある釣れた匹数も20匹/日とか30匹/日とか。年間50匹釣れれば良かったブラックバスも、気付けば年間1000匹近く釣っていました(高校3年間は年間300日くらい釣りしてた)。
そこから25年。
今ではシマノを始めとした業界を代表する企業の皆さんとお仕事をさせて頂いて、看板を背負わせて頂いています。
今回、改めて読み返してみましたが『何も変わってないな』と思う内容ばかりでした(笑)











