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  1. 考え方の『いろは』

浜名湖ルアー史 前編

先日開催された浜名湖オープントーナメントで久々に実行委員の小野田さん(オノケンさん)と前原さんとお話した際に『現参加者のほぼ全員が浜名湖の近年のルアーフィッシングしか知らないかもしれない』なんて話になりました。

全身のJBソルトトーナメントから合わせると18年。(今回調べました笑)

正直、浜名湖でのルアーフィッシングシーンは近年、新しい若い世代の釣り人がかなり多くて(本当に素晴らしいことだと思います)、誰かがセーブポイント的に書いておくべきなんだろうなと常々思っていました。
そんな話の中で、浜名湖へのお礼も兼ねて私が書かなきゃいけないのは間違いないので拙い文章にはなりますが思い出しながら書いてみようと思いこの記事を書いています。

JB/NBC公式HPより借用。こんなロゴがあった頃があります。

まず前提で書いておきたいことがあります。
こういった歴史や来歴なんかを書くと必ず『◯◯◯の方が先だった』『俺が先に見つけてやっていた』的な話が出てきます。
今回それなりのボリュームを割くであろうチヌトップ関連なんておそらく地方でこっそりやっていた方が居たであろうことも容易に想像が付きます。
ただ個人的にはやはり皆んなの記憶に残り、記録として残すべきなのは広めた人や広まったタイミングだと思っていてそれを元に記します。
明確なメディアに紹介(取材)されて一般人も知った。明確な誰もが知っているプロダクト(ルアー)が出て認知された。のをパイオニアやスタート地点だと私は認識しています。のでご理解の上でお読みください。
またほとんど私の記憶を頼りに書きます。よって若干の認識の違いや、年の違いはどうしても発生することをご理解下さい。
もちろん調べられる資料があるもの。に関しては調べて書いているんですが(残念ながらほとんど無い)、逆に言えばそれが無いからこれを書きます。
異論や異説があるのは存じ上げていますが、あくまでも『浜名湖で生まれ育った黒田がリアルに見てきた20数年』だと思って下さい。

今も変わらず浜名湖の畔に住んでいますし、ここで育って釣りを覚えました。

〜2003年

ここらへんが浜名湖デイ(ルアー)ゲームの本格的な幕開けだったと思います。
上記したようにそれ以前から楽しまれていた方も居ると思うし、ナイトルアーゲームはこの時点でもそれなりに一般的でした。
ただ釣具量販店のルアーコーナーはまだまだ9割以上がブラックバスコーナー(もちろん90年代からのバス釣りブームの影響は大きかった)だったし、私が記憶している釣具屋にはシーバスハンターとショアラインシャイナー(どちらもダイワ社のミノー)と、マリアのマールアミーゴ(もちろん現行モデルではなく旧モデル)がちょろっと並んでいるくらいでした。
メタルバイブレーションはまだジャンルとしてそもそも無し。クロダイ用のルアーなんてあるわけ無いです。(ルアーで釣る認識が無い)
ただジワジワと広がってきていたタイミングで(今でいうアユイングみたいな感じ)、これくらいに朝倉良太さんプロデュースのRAポッパー(朝倉さんのイニシャル)は発売されていて(クロダイ専用設計のインジェクションポッパーとしては一番最初のはず)、ダイワ社のTHEフィッシングのロケを朝倉さんがしていたり(狙っての地上波はこれが初のはず)していました。
朝倉さんは確かこの前に自作のポッパーを出していたけど、個人的にはRAポッパーからクロダイポッパーが本格認知された印象で、同時に浜名湖の『デイルアーゲーム』もここら辺からが一般化したと私は認識しています。

今は倒産したエイ出版社のDVDなので転載させて頂きます。発売は2005年、出演者は朝倉良太さん。

〜2005年

実は今回、この記事を書くにあたりめちゃくちゃ探した本があったんですが(絶対捨ててない)見つからず。
その本が出たのもこの頃でした。(見つけたら画像貼ります)
確かハローフィッシング社から出ていた『浜名湖ルアー完全攻略』的なもので、上記したような朝倉さんや、浜名湖レンタルボートヤマトの青野さんが出ていた本。
浜名湖初のルアー専門書だったはず。

友人より素材提供。引き続き探します(涙)

ただ何よりも記憶にあるのがかなりのロケ日数を割いたであろうその本でも一部クロダイポッパーの釣果を除けばほぼ『ナイトフィッシング』のものでした。特にシーバス。
それくらい当時(いや今でもなんですが・・・)デイゲームで釣るのは簡単ではなかったです。
一方、私は親父所有の和船があったので当時好き勝手使っていたんですが、今では考えられないと思いますが朝都田川の河口や大瀬付近のブレイクなんかを流すと普通にポッパーに朝だけで10発とか20発とか出る頃でした(たぶんオノケンさんに当時のこと聞くと同じように言うと思います)。
当時の私は『これが未来永劫続く』と思っていましたが年々減っていきました。
魚は居る。けど昔みたいに出ない。ルアーへのスレを知った出来事でした。
おそらくこの2000年代前半に浜名湖ではポッパーで、広島ではボトムでクロダイのルアー釣りが急速に広まり、未だにトップは浜名湖からボトムは広島から始まった。なんて言われる所以です。
ちなみに当時は『チヌトップ』ではなく『クロダイポッパー』と呼ばれていました。ポッパーだから釣れると言われていた頃。
ちなみに当時の私はナイロン8lbの通し(リーダー無し)でクロダイポッパーをやっていました。
そもそもチヌって呼び方も浜名湖では一般的ではなく、もっぱらクロダイって呼ばれていました。
とにかく朝倉良太さんの功績は大きい時代だったと思います。

何度もになりますが、それ以前から個人で楽しまれていた方もいらっしゃったと思います。
あくまでも『一般認知』の時系列です。

〜2006年

2006年からとしましたが浜名湖のトーナメントが本格始動した2007年からが正しい表現かもしれません。2006年はプレ開催で1大会だけだったはず。
当時まだオノケンさんがJBに所属していたので(今はオノケンさんオフショアのイメージ強いですが元々はバストーナメントの人です)、当時広がりつつあったソルトルアーフィッシングでもトーナメントをしようと招致したのがこの頃。
浜名湖オープントーナメント(HOT)は前身から合わせて18年ということになりますね。
当時はシーバスだけが対象魚でした。

JB/NBC公式HPより。第一回大会(2006年)。皆さん若い。

ちなみに私2006年は出ていなくて、翌年から参加したと記憶しています。
当時はシーバスオンリーだったのでお立ち台が埋まらないこともザラでした(汗)
ただじゃあ当時、クロダイなら釣れたかと聞かれれば釣れなかったと思います(汗)とにかくポイントも釣り方もルアーもまだまだ未開拓。そんな感じでした。
そして参加者も30人だと多いくらいだったはず。
2008年から浜名湖オープントーナメントとして独立したと記憶しています。

今の浜名湖との一番の違いは『アマモの有無』だと私は思っていて、当時は浜名湖南部(表浜名湖と呼ばれるエリア)は一面にアマモが生えていて、トップにしろミノーにしろそのエッジを通して釣っていくのがセオリーでした。
ずいぶん景色は今と違います。

現在ロンジン社からサポートを受けている堀さん。

当時、この堀さんって人がとにかくこのアマモ周りをメガバスのマーゲイで釣っていくのがメチャクチャ上手くて大会では勝ちまくっていました。皆んな真似したはず(笑)私もした(笑)
皆んな0か1かしか釣れない中、毎回リミット3匹を揃えるくらいの破壊力でした。
そして3匹釣れるだけで『破壊力』と書かなきゃいけないくらい浜名湖のシーバスは当時(今は?)釣るのが難しかった。

遂にワインドが始まる・・・

〜2010年

この2010年頃からのワインドの項に関しては、足並み揃えてUPしてくれたオノケンさんのワインド史を読む方が早いです。添付します。

オンスタックル社のワインド自体が凄いテクニック(リグ)であったのも間違いありませんが浜名湖において『初めて本格活用されたソフトルアー』だったのも個人的には大きかったと思います。
クロダイポッパーの欄でも書きましたが、魚の出入りが限られる浜名湖において『プレッシャー』は常に考える必要があるんですが、やはりハードルアーの方がその点は弱いです。
ここから2.3年爆発的に流行る浜名湖でのワインドゲーム。
たぶんそれに一番苦しめられたのが私でした(笑)

当時の私はX-80のシャローゲームを得意としていて。

2008年くらいから私はX-80で沢山シーバスを釣る方法(スポットだったり、通し方だったり)を見つけていたので、2000年代半ばの頃のような0か1かみたいな確率ではなく、きっちり狙ってシーバスを釣れるようになっていました。
動画が少し一般的になってきていたこともあって、初めてカメラマンを乗せての浜名湖のトーナメントで惜敗して2位だったのが2011年開幕戦。ワインドが一気に流行るきっかけとなる大会でした。
この頃、必死にワインドに勝った負けたをしていた私の浜名湖動画を見たことのある方も多いと思います。私25歳くらい。今でも見れるよね?

なのでイメージとして、浜名湖にワインドを持ってきてやり始めたのがオノケンさん、その凄さを大会で見せつけて広めたのが前原さん(優勝者)、その最大の咬ませ犬が黒田(笑)という構図でした。

現在、浜名湖オープントーナメントの実行委員をしてくれている前原さんが私に勝った試合。私が負けた試合(笑)

当時120人くらい参加者が居てメチャクチャフライトが長かったのを何よりも覚えています。(今は80〜90人くらい)

ちなみにですが、この時代『チヌトップは?』というと。
ほとんどの人が『過去の釣り』的な扱いだったと思います。
もちろん好きで続けていた人も居ると思うんですが、最初の2005年頃や今(2023年)と比べると極々少数。
それを証明するように、この頃発売されたチヌトップ用のルアーは皆無です。

長くやっているとそんな移り変わりを沢山見てきました。
一回で終わらせるつもりが終わらないので次回へ続きます(汗)
まだ半分くらいだ(涙)

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