数日前の3/1に私の母校に行って参りました。
思い返せば約4年ぶり。前回はコロナ禍前の秋でした。
コロナ禍以前までは年一回くらいのペースで講演会やゼミ生向けの社会人セミナー?みたいなのをやらせて頂いていて、いつしか『会社員じゃない卒業生代表』みたいなポジションを頂いていました(笑)
ちなみに母校のOBには元中日ドラゴンズの岩瀬投手が居たりします。
コロナ禍も落ち着き、今年からそんな活動も再開なので打合せに行ってきたわけです。
そんな今日は、『果たして大学で学んだことはバスプロになるのに役立ったのか?』を中心に考えてみたいと思います。
講演をするに当たり、当時の資料がいくつか欲しくて帰宅後に押し入れをガサゴソしていました。
教科書やノートはだいぶ捨ててしまった記憶でしたが、いくつかは残っていてペラペラとめくってしまいます。
TOP50シリーズを例にとると、そもそも私と同世代以下のプロはほぼ全員と言って良いくらいヒューマンフィッシングカレッジの卒業生です。たぶん95%くらいがそうな気がします。
ここからも『日本最高峰シリーズに挑戦したいならヒューマンに通う』というのは正解だと思います。
一方で私や他の僅かな他学歴プロがいる事を考えるとそれが『絶対条件』ではないのもまた真実で、まっ結局は自分次第なのかもしれません。
自分のことしか分からないので、自分のことを中心にお話しをすると、私が通っていたのは『経済学部』でした。
厳密には『経済学部 経済法学科』で前半のうちは経済について学びつつ、後半では経済に関わる法律について学んでいきました。
ただ。経済学部とか偉そうに言いますが、個人的には一部の上位大学を除けば大学での経済学部なんて高校までの『普通科』だと思っています。
経済学って確かに社会に出てからの全てに応用可能ですが、同時にただ学部を出ただけでは何かの資格が手に入る訳でもなく、国家試験があるわけでもなく、ましてや皆んなが経済学者になれるわけがありません。
事実、私は高校まではずっと理系で、大学だけ文系を選びました(俗に言う文転)。
理由は『自宅から通えて、学費が安くて、勉強しなくても入れたから』それだけです。
大学生活もまさに散々でした(笑)
当時は毎週末琵琶湖に通っていたので、月曜日から木曜日までは朝5時に起床して6〜9時までコンビニバイト。
終わってから大学に行くも講義は爆睡。18時頃から深夜までキャッチのバイトをして(当時の浜松はOKだった)、夜中2時くらいに寝て、また翌朝からコンビニバイト。
金曜日だけはボート持って大学に行って、終り次第下道で琵琶湖へ。名古屋からは高速乗って金土の夜は車中泊。
土日釣りして帰ってきて、また月曜日からはそのルーティンでした。
あとは週一でサボれそうな講義の日は近くのリザーバーでアルミボートを出す感じ。
正直、大学で学んだことよりも、夜のキャッチで誰にでも話しかける度胸と、しゃべりまくる話術と、声の大きさを習得したことの方が大きかった気がします(笑)
このブログの書き出しはそんな大学卒業寸前くらいからなので(15年前!)、その当時の生の声が最後の少しだけですが見れたりもします。
今思えば相当キツかったはずですが、苦しかった記憶はあまりありません。
唯一キツかったのは皆んな金曜日の夜は大学終わりで飲み会とか合コンに行くんですね。誘われるけど行けない。
自分は今から5時間運転。これだけがキツかったです。
皆んな楽しそう。やりたいこととはいえプロになれる保証はないし(当たり前)、人生で一番楽しい時期をこの先どうなるか分からないものに賭けるのは苦しかった記憶があります。
ちょっと前に『金とか環境でプロになれるわけじゃない』ってことを書いたと思います。
私はこんな感じに普通に大学生活を経てプロになったので、正直TOP50に昇格した23歳当時は同世代が既に皆んな知り合い(ヒューマンの卒業生)の中、話しかける相手が居なくて疎外感は少なからずあったような気がします。
そういった意味でお金にも環境にもあまり恵まれていなかったかもしれない。
ただ結果、今はそんなライバルたちと抜きつ抜かれつ頑張っています。
逆に30歳くらいから大学で学んだことで少しづつ役立ったことも出てきて、特にマクロ経済学部&ミクロ経済学で学んだことなんかは『これひょっとして業界参考書かな?』って思うくらい今の自分に活用できることもあります。
ただこれは完全な偶然ですかね。
まぁ、結局は月並みな言葉の『本人次第』ってのが正直なところかなと思います。
ただ『◯◯◯だからなれない』ってのは絶対無いし、1番の敵は『そんなことを言ってしまう自分』な気がします。